どんな世界に

A Coming World
倉元 信行


すらりとしたジーパンの足をゆっくり進めながら若いお母さんがベビーカーを押している.かわいいデニムの帽子がちょこんと載っているところを見ると男の子だろうか.小さな公園の色づいたイチョウの木に近づくと母親の白いスニーカーの歩みが止まった.

 この子が働き盛りの30代,40代になったときどんな世界が訪れているだろうか.下表は40年刻みで日本の人口推移を示したものである.



1970年

2010年

2050年

1-14才(A)

2500万

1800万

1000万

15-64才(B)

7100万

8600万

5400万

65才以上(c)

900万

3000万

3500万

B/C

7,9

2,9

1,5



今から 35年前の1970年は三島由紀夫が衝撃的な自決を図った年であるが,日本の人口は約1億人であった.そして,2050年の人口の予測も同じく約1億である.同じ1億人だが,14才以下の成人予備軍(A)および働ける年代の人口(B)の減少は衝撃的である.また,何人で一人のお年よりを支えるかという B/Cの数値の激減は年金問題を正確に表している.  2050年,日本の製造業はどんな姿であろうか.たぶんほとんどの女性があらゆる現場で働き,お年よりも年齢に関係なく働いている.外国人も多いだろう.そして多くの 企業が労働力その他を求めて海外に進出していかざるを得ない.05年10月,自民党の行革本部は,公務員を10年で2割純減という方針を決めた.関係省庁の反発で骨抜きにならないよう政治主導で,というものである.現在,国と地方合わせて約400万人の公務員を削減しなければ日本は公務員だらけになってしまう.痛みを伴うことを覚悟でいろんな組織や団体を統廃合しスリム化せざるを得ないのである.今回の日本結晶成長学会の統合は,運営の効率化と活動自身に新風を吹き込むことを意図した積極的なものであることが評価されるであろう.

お母さんがベンチに腰を下ろし歌を歌っている.何の歌だろうか.歌に合わせるようにベビーカーから出た赤ちゃんの両手がゆれている.白いその手と母親の横顔を秋の陽がやさしく照らしている.のどかな昼下がりだ.

 2050年,もっと大きな問題が襲っているかもしれない.人類は利用可能な石油資源の半分ほどをすでに消費したといわれている.1948年に発見された世界最大のガワール油田(サウジアラビア)はもう自噴する力を失い,多くの海水を注入することで採掘されている.世界第2位のブルガン油田(クウェート)も発見は1930年代とさらに古い.このような巨大油田の発見は地球科学的にはもう無いと考えられている.  1975年にオレゴン州知事が発表した人類1万年の歴史を横軸にした図で,20世紀から21世紀項に石化燃料時代というピークが細く立ち上がって消えているのが印象的だ.2億年以上前の地球環境によって偶然もたらされた石油資源を私たちはあっという間に使い果たそうとしている.先日,上海の南に建設中の化学工業区を見てその広大さに驚いた.石油の消費量は毎年増えつづけるばかりだ.需要が供給を上まわり始めた時どのようなことが起こるのか,経済学者やエコノミストは応えてくれない.10年後か50年先なのか明確に言える人はいないが有限な資源の枯渇の始まりは確実に来る.

 少し風が出てきたのか,イチョウの葉が舞い始めた.競うように隣の木の赤い葉っぱがくるくると回りながらベビーカーの上にちょこんと飛び乗った.お母さんはマフラーを締めなおし,眠ったように見える赤ちゃんの両手をタオルケットに包み込む.

 環境の問題はとてもナイーブである.入社した当時,私の回りは"第二の水俣病か!"というジャーナリズムの攻撃にさらされていた.無機の水銀を有毒な有機水銀とあたかも同じように扱って叫ぶ人に,もしも反論すれば,環境に優しくない悪者として痛めつけられるのが落ちである.それ以降の酸性雨,地球温暖化,ダイオキシン,環境ホルモンなどなど.本当は科学的な事象であるはずの環境問題は,"環境"で生活している人たちとジャーナリズムが飛びついてしまうと本質を見失いかねない.環境問題を取り上げることはもちろん重要なことだ.ただ,それぞれに対して科学的に冷静に対応することが大事だ.5兆円使ってしまったといわれるダイオキシン対策のようなことが,今のアスベスト問題で繰り返されないように.お金とエネルギーと時間は有効に使われなくてはならない.

 眠りからさめた赤ちゃんが帽子を掴んで振っている.抱き上げられ,ベンチの前に立たせてもらった赤ちゃんはヨチヨチと歩き始めた.やっぱり男の子のようだ.にっこり微笑みかけたお母さんに,ちょこんとお辞儀をした短い足がかわいらしい.

今日の食と明日の幸せを求めて生活する私達は,この,人口,エネルギーそして環境という余りに大きな問題を見失いがちだ.しかし,産も官も学もない,科学技術に携わる私達すべてがこの問題解決の方向で知恵を絞ることが求められている.新しい結晶材料や成長プロセスもこれに貢献することが期待されているのだ.そして私達にはその力があると信じたい.この赤ちゃんが大きくなったとき希望を持って働けるように.

(2005年12月)
参 考 文 献
1)「高く乏しい石油時代が来た」,石井古徳,化学経済05年6月号
2)「環境時代を考える」,渡辺正,化学経済05年9月号
潟gクヤマ取締役研究開発部門長
日本結晶成長学会誌VOL33,No.1 2006 掲載

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